ましはら、ましはら

7年後のオリンピックの開催時、僕はどうなっているんだろう

会社や妻・夫への愚痴を言う人はダメだ、というわけではない

飲み会の度に、会社の愚痴や、妻や夫や恋人(以後、相方)への愚痴を言う人のことは好きになれないし、そういう愚痴を言う人にもなりたくはない。

そこまで愚痴を言うんだったら、自分で会社を変える努力をすればよい。それか会社をやめて転職すればよい。人にぐちぐち文句を言って何が改善できるんだと思う。

中学校のときの社会の先生が、「森総理はけしからん」と授業の度に言っていた。

その授業の度に、その先生に対して「自分で出馬すればいいのに」とうんざりしながら思っていた。生徒たちに文句を言うことによって、先生の思うその「けしからん」は改善できるのか、と思っていた。

そして、中学校の思いから考え方は変わっていない。

 

会社や妻・夫への愚痴を言う奴はダメだ、という理由

なので大方の部分で「会社や妻・夫への愚痴を言う奴はダメだ」と僕は思っているし、今後も絶対に愚痴を言っていきたくないと思っている。

その理由をまとめてみた。

(1)何も解決しない。ほとんどの問題は愚痴っても何も解決しない。何が問題でどうやったら改善できるかを考える議論をした方がよい。

(2)会社や妻・夫は、自分の判断で選んでいるはず。会社や妻・夫の批判は、自分の判断のダメさを表しているから、人に言うのは情けない。

(3)これまた情けなさの話なんだけど、結局、会社を辞めれないし、相方とも別れられないのは、そいつ自身がそもそもダメだから、ということになる。

 

しかし、会社や妻・夫への愚痴を言う奴はダメだ、というわけではない

ただ愚痴るのにはいろんな言い分がある、と最近は思うようになってきた。

(1)会社にはいろんな要素がある。「働きがい」「一緒に働く人」「給料」。いろんな要素があるんだけど、どれか一部分だけがどうしてもダメでそれを変えることはできない場合、愚痴りたくなる気持が出てくるのは理解できる。

例えば大きいプロジェクトを受注して仕事をしている。困難はあるけど、すごくやりがいがあるプロジェクトだ。ただ一人だけ、ものすごい腹の立つ上司がいる。その人さえいなければこのストレスもないのにーー、という思いはあるのかな、と思う。

例えば料理もいつも作ってくれて、趣味もぴったり合うのにー、休みの日はずっとスマホゲームやってる、それさえ辞めてくれれば最高なのにーー、という思いとかがあるのは理解できる。

(2)腹が立つから仕返しがしたい、という気持ちがあるのも理解できる。人に愚痴ることによって相手の評価を下げる。会社の気に食わない人の評価を落として出世できないようにしたり、離婚や別れた後の相方の評判を落として次の相手が見つからないようにしたり、森総理に票が入らなくしたり。そういう地道な手をとるのも理解できる。

(3)自分は悪くない、というのを人に認められたい。自分ではなくて、会社や相方が悪いんだよね、と確認することでストレスを軽減したい。

(4)同情してもらいたい。同情を買って、お前って不幸だなと親睦を深めたり、なんならお酒を奢ってもらいたい。

 

愚痴と批判はどう違うんだ、ということも考えたい

改善を見出さないのは愚痴かなー。何回も同じ批判を繰り返すのも愚痴かなー。

 

最後のまとめ

理解はできので、愚痴る人の話も聞きますが、自分ではあまり愚痴らない人になろう、というまともなまとめで締めさせて頂きます。